韓牛とタコの「未知なる遭遇」 韓国の絶品の味を目指して。





 

   カルビ肉のかたまりが入ったスープに「ナクチ」と呼ばれる手長ダコがまるごと1匹入っています。牛肉とタコ、両方のうまみがしみ出たスープを、唐辛子などの薬味が引き立てます。ただ、多くの韓国料理にあるような真っ赤な汁ではなく、スープは透明で食材の味をじっくりと味わうことができます。

갈낙탕カルラクタン)」と呼ばれるスープ料理は想像以上の絶品でした。

牛肉とタコがひとつの器に。これまで目にした記憶のない食材の融合を味わいたいと、今冬、この料理の発祥地と言われる韓国南西部の全羅南道にある霊岩郡(ヨンアムグン)犢川トクチョンという田舎町を訪ねました。

まずは、まちにたどり着かなければなりません。またいつか再び自力で行けるようにと、できるだけ公共交通機関を使って現地を目指すことにしました。

  中継地として目標にしたのが韓国南西部の港町、木浦(モッポ)です。この町にいちばん近い務安空港に向かう関西空港からの直行便は、残念ながら旅の時点ではありませんでした。まずは関空からも便数が多い釜山(金海)空港を目指します。

午前11時関空発の飛行機に乗ると、海峡を越えてあっという間。お昼過ぎには金海空港のロビーに着きました。西日本と韓国の近さを改めて実感します。空港からは「釜山金海軽電鉄」というモノレールに乗り、3つ目の「沙上(ササン)」駅で下りて近くの釜山西部バスターミナルに向かいます。接続する地下鉄の駅を経由すれば、地下道経由でバスターミナルまで行けます。

 午後2時前にはバスターミナルにたどり着き、当初計画していた午後2時発の木浦行き直行バスに「間に合った」と思ったのも束の間、予想外の展開が待っていました。なんと午後2時発を含め、その日にある木浦行きの直行バス3便はいずれも「매진(メジン)」との表示が出ていたのです。売り切れです。

予備の座席でも残ってないだろうかと窓口の従業員に確認したものの、やはり満席でした。すがるように「木浦へ行く方法はありませんか」とたずねたところ、「まずは光州に行って下さい」と助言されました。

 釜山(西部)から光州行きのバスは毎時間のようにあり、売り切れということはありませんでした。14時40分発の光州行きのチケット(1人33700ウォン=プレミアム席バス、19900ウォンの一般席なども有)を購入し、待ち時間にターミナル2階の食堂で、韓国風うどんともいえるカルグクスとマンドゥで空腹を満たしました。

 ここからは高速道路を経由して3時間余り。全羅南道の中心都市、光州の総合バスターミナルに到着しました。ターミナルの敷地はかなり広く、食堂街や書店などもあります。全羅南道・北道はもちろん、韓国各地に向けて放射状にバス路線が伸びています。同じ全羅南道内の木浦行きは毎時間のように直行バスがあります。

自動券売機(日本語案内もあり)で券を購入し、待ち時間なしで急いで18時10分発の木浦行き(1人9300ウォン)に乗りこみました。光州―木浦の所要時間は約1時間。途中、光州で乗り換えたものの、釜山から合わせて4時間半ほどで木浦に到着し、結果的に釜山から木浦まで直行バスを利用した場合とさほど変わりありませんでした。

 昼前に関西空港を出発すれば、釜山と光州を経由し、その日のうちに韓国西南端の港町、木浦に無事たどり着くことができました。光州までなら無理なく到着できます。ソウルの仁川や金浦空港を経由して公共交通で光州や木浦を目指すよりも、早くて安いと思われ、今後の旅でも活用したい経路です。

この夜はあらかじめ予約していた旧市街の漁港そばのホテルに泊まり、木浦駅周辺を散策しました。午後8時半頃ですでに閉店している店が多い中、たまたま灯りがついていた店に入り、アワビ入りの参鶏湯(サムゲタン)を注文しました。さすがは韓国で食の本場といわれる全羅道。アワビの身はしっかりとした大きさだし、鶏肉も肉厚で高麗人参やナツメなどの薬味もちゃんとたっぷり入っています。おなかが満たされると同時に、汁を一口一口のむごとに身体が治癒されるような感覚がしました。漢方の基本である「薬食同源」をまさに具現化したような料理でした。

翌朝、前夜に光州から到着した木浦総合バスターミナルに再び向かい、犢川(トクチョン)を目指します。霊岩郡方面に向かう急行バスに乗り、途中、停留所を1箇所経由して約45分ほどでトクチョンに到着しました。

バスターミナルの手前の川にかかる橋のたもとには、二本足で立つ筋骨隆々の牛と、それより図体の大きな手長ダコが並んで「肩を組んでいる(?)」姿の造形物が飾ってありました。カルラクタンはこの町のシンボルなのでしょう。


  バスターミナルから歩いてすぐのところの通りが飲食店街となっており、両脇にいくつも「カルラクタン」を看板に掲げた店が並んでいます。ただ、激しい競争のせいか、コロナ禍のせいか、いくつかのお店が閉店し、売りに出されている店もあるのが少し気になりました。


 今回訪れた店はバスターミナルにも近い「トクチョンナクチマダン」というお店。日本語に訳せば「犢川(トクチョン)手長ダコ広場」でしょうか。


  旅の同行者である妻、中野葉子が韓国紀行の著書「韓観再発見」(工房草土社、https://sodosha.raku-uru.jp/item-detail/902184)で紹介している名店です。以下は同書からの引用(P65~66)です。

「カルラクタンの『カル』はカルビ(갈비のカル、『ラク』はナクチ(낙지のナクが発音変化でラクに変わったもの、そして『タン』()はスープのこと。店で実際に食べてみて、カルビと手長ダコの組み合わせという見た目にまず驚き、その組み合わせから出るやさしく深い味に驚き、感激しました」「肉と海産物をうまく組み合わせてひとつの料理にし、新しい味を創り出すというのは、韓国料理の大きな魅力だなあと思います」


  お店は評判の店なのでしょう。遠方から来たとも思われる韓国人観光客が次々と入ってきます。メニューにはいろいろなタコ料理がありますが、目的である「カルラクタン」を注文すると、最初に韓国の食堂ではおなじみのパンチャン(おかず)がふんだんに出てきます。海藻類の味は格別で、思わずおかわりを頼みました。

 そして主役のカルラクタンの登場です。料理と一緒に、冷麺を切るときに用いるようなハサミが出てきましたが、小生はできるだけ素材の味を損なわないようにと、そのまま丸ごとのタコにかぶりつきました。適度な歯ごたえがあるうえ、身からにじみ出る汁は格別の味でした。料金は1人3万ウォン。これまで味わったことのない未知の味を発見できたかのような食体験でした。


  ところで、なぜこの町でこのような料理が誕生したのでしょうか。

商店街にかかる町の案内板にはこんな説明がありました。

「農繁期でばててたおれた牛に、ナクチ(手長ダコ)をカボチャの葉っぱに包んで食べさせたところ、横になっていた牛がしゃきっとして起き上がった。海岸の漁民たちは、ナクチを『干潟の中の高麗人参』と呼んでいる」

韓国のあるブログ記事(영암맛집 독천 낙지거리 : 네이버 블로그 (naver.com) )によると、かつてはトクチョンの町の近くまで干潟が広がり、近海でとれる手長ダコが格別の味だったようで、タコ料理の店が発達したとのことです。高度成長期の1970年代に店を開き、代々味を継いでいる店が多いようで、さしみや焼き物、鍋料理や炒め物、和え物など様々なタコ料理が味わえます。

朝鮮王朝時代の魚類百科事典ともいえる「茲山魚譜(チャサンオボ)」でも、手長ダコの効用について「たおれた牛を起き上がらせる程」と紹介されているといいます。古くから貴重な滋養強壮の食材として重宝されてきたのでしょう。

トクチョンは韓牛の名産地としても名だたる地でした。もしかしたら、子牛に手長ダコを食べさせながら飼育して、美味の牛が輩出したのでしょうか。上記のブログ記事では、牛の名産地でもあったため、タコ料理店でカルビ肉のスープ料理・カルビタンも出していたようですが、「牛肉価格が暴落し、タコ鍋にカルビ肉を入れて煮たてたところ、気がおかしくなるほどの美味だった」と説明しています。

それぞれ単独で食べてもうまみの深い食材ですが、両方を一緒に食べてみたら、一体どんな味になるのだろうかと、ひらめいたトクチョンの先人にただ感謝するばかりです。

 

 

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