오기섬. 오기만 해도 신이 나는 섬 スイセンに囲まれた灯台の島

 세토나이카이(瀬戸内海)라는 일본 혼슈와 시코쿠 사이의 '내해'는 예로부터 한반도와 일본을 연결하는 배가 오갔던 바닷길이 지나고 있으며, 지금도 페리와 화물선등 많은 배가 오갑니다. 그런 바다를 천천히 바라볼 수 있는 오기시마(男木島、카가와현)를 이번 여름에, 약 3년 반만에 방문했습니다. 다카마쓰항(高松港)에서 페리로 약 40분 거리의 작은 섬이지만 한국인 젊은이 커플을 몇 쌍 보았습니다. 세토나이카이의 외딴섬까지 한국에서 알려져 있다는 것에 많이 놀랐습니다. 

瀬戸内海という日本の本州と四国の間の「内海」は、むかしから朝鮮半島と日本を結ぶ船が行き交った海路が通っており、いまもフェリーや貨物船が行き交います。そんな海をゆっくりと眺められる男木島(おぎしま、香川県)を今夏、約3年半ぶりに訪ねました。高松からフェリーで約40分の小さな島ですが、韓国人の若者のカップルを数組見かけました。瀬戸内海の孤島まで韓国でも知られていることに驚きました。


      


       


      

《以下は3年前、2021年2月に訪ねた時の探訪記です。》

瀬戸内海に男木島(おぎじま)という小さな島があります。

島の最北端部の「トウガ鼻」にある灯台を初めて目にしたとき、煉瓦を積み上げたような重厚な姿に歴史の重みを感じ、心ひかれました。



この灯台が見守る、男木島と豊島(てしま)の間の海峡をボオーッと眺めていると、左の方(西)から右の方(東)へとタンカーなどの大型船舶がひっきりなしに通り過ぎていきます。国際航路のようです。瀬戸内海を通って大阪湾岸の工業地帯に向かうのでしょうか。



この男木島灯台に灯りが初めてともったのは1895(明治28年)12月10日です。香川県高松市の庵治(あじ)町でとれる庵治石を主体にした総御影石造りの洋式灯台です。地上の高さは約14メートル。高松海上保安部の案内板によると、灯台の光は12・5海里(約23キロ)先まで到達するとのことです。125年余り、「海の道しるべ」として備讃瀬戸を行き交う船舶の航行を一日も欠かさず支えてきました。

瀬戸内海の島の漁師にとっても欠かすことのできない海の道標です。昭和30年代には映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ地にもなりました。


 男木島は高松港の北方約10キロの沖合にある、面積わずか1・34平方キロメートルほどの小さな島です。島にあった掲示板によれば、人口は153人。そのうち95人は高齢者だそうです。ただ、島には小中学校があります。

2010年から3年ごとに開催されている瀬戸内国際芸術祭をきっかけに、会場のひとつである男木島を訪れてその魅力にひかれたりし、移住して来る若い世代もいるようです。島は高松市の一部で、高松市は情報通信環境を整え、「ワーケーション」で島の滞在人口を増やそうと計画しています。

男木島に向かうには、高松港を2時間おきに出航する雌雄島(しゆうじま)海運の小型フェリー「めおん2」(往復1020円)に乗ります。

男木島は明治期に町村制ができてから、すぐ南隣にある女木島(めぎじま)とともに「雌雄島村」という村でした。戦後の1956(昭和31)年、高松市に合併されますが、島民の足ともいえるフェリー会社の名に、かつての村の名前が残っています。



高松港からは女木島の女木港を経由して約35分で男木港に到着します。港に面する急勾配の傾斜地をぬうように、木造家屋が階段状に連なっています。まるで港を中心にした円形劇場のようです。



人口減で空き家も少なくないようですが、路地をめぐると、多色のペンキで彩られた壁を見かけたりします。港には巨大な蛸壺の造形物がどんと置かれています。島のいたるところに、アートの気風を感じます。





男木島灯台へは島の西岸をぬう道をひたすら歩いていきます。むかしは畑があったのでしょうか。道沿いにはところどころ石積みがあります。



2021年2月、立春を過ぎて間もないころに訪れると、道ばたのあちこちでスイセンが咲き誇っていました。自生の群生もあれば、人の手できれいに植えられたものもあります。

スイセンや梅の花に見とれながら、港から約2キロの道のりを30分ほど歩くと、男木島灯台に着きます。

男木島灯台のすぐ裏手の斜面をあがると、スイセンの群生がありました。木の階段が整備され、道しるべのように両わきにもスイセンが植えられています。

冷たい潮風に吹かれ、まだ少し寒いのでしょうか。つぼみのままの株も少なくありませんでした。

男木島灯台を囲むスイセンが一面に咲き誇るようになれば、待ち遠しい春が瀬戸内に訪れるのでしょう。



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