駅員がかつて116人いた無人駅
中国地方の内陸部、広島県の北東部にある庄原市の、そのまた北東部のすみっこ近くに「備後落合(びんご・おちあい)」というJR西日本の駅があります。
庄原市は東側は岡山県新見市、北側は鳥取県日南町と島根県奥出雲町に接しており、備後落合駅は、中国地方のへそのような位置にあります。
ここは広島と岡山の内陸部を結ぶ芸備(げいび)線と、島根県の宍道湖へと通じる木次(きすき)線が接続する乗り換えの拠点の駅。広島方面から来る列車と岡山方面から来る列車、島根方面から来る列車がちょうど「落ち合う」場所にあることから、備後落合と名付けられ、国鉄だった1940~50年代の最盛期には116人もの駅職員がいたそうです。しかし、今は無人駅で、駅の構内にも駅前にも飲料水の自動販売機すらありません。山間部の鉄道の歴史を象徴するような、山奥の駅を訪ねてみました。
標高約450メートルの中国山地の山の中にある駅はかつて、瀬戸内海沿岸にある岡山の水島工業地帯から日本海側の山陰地方へと燃料等の工業製品を運ぶ貨物列車が通り、中国地方の中心都市・広島市と鳥取の米子市を結ぶ急行列車が往復していました。重い貨車や客車をひいて急勾配をのぼるため、蒸気機関車を二重、三重に連結したそうです。
古い木造駅舎の壁には、山あいをはしる蒸気機関車など往時の姿を伝える白黒写真の複写プリントが貼ってありました。「SLと生きる職場」と題し、蒸気機関車と接した国鉄マンのかつての仕事ぶりを説明した横断幕も掲げてありました。山奥にこだまする汽笛の音を想像しました。あのにぎわいをもう一度という、元機関士の切なる願いを感じました。
資料の一覧表には、JR西日本が管理運営する近畿、中国、北陸の路線のうち収支状況の悪い区間の収支率が示されています。
「2019年度輸送密度(2018―2020平均」と題した一覧表で取り上げられた30路線のうちのワースト3のいずれもに「備後落合」の名が登場します。
ワースト1:芸備線 東城~備後落合 収支率0・4% 営業係数26906
ワースト2:木次線 出雲横田~備後落合 収支率1・2% 営業係数8119
ワースト3:芸備線 備後落合~備後庄原 収支率1・9% 営業係数5260
列車の車窓からは、沿線の田畑や山林の合間に点在する人家が見えます。広島や島根の山間部特有の赤瓦の屋根をいただく立派な木造の屋敷を目にします。過疎化・高齢化はすすんでいるのでしょうが、まったく人気のない秘境というわけではありません。地元の人々にとっては、自家用車で移動した方が断然便利であり、鉄道を利用する動機がないのでしょう。
戦前の昭和初期に芸備線や木次線が敷設されたのも、旅客需要のほか、瀬戸内海側の物資を中国山地を越えて日本海側に運ぶという貨物需要が大きかったのではと考えます。
戦後の高度成長期やバブル時代を経て中国地方の山奥でも高速道路をはじめとする道路網の整備がすすみました。広島、島根、岡山からは戦後、池田勇人、竹下登、橋本龍太郎など多くの首相が輩出しています。木次線の車窓からは、竹下氏の尽力で建設されたとされる立派なループ道路や橋梁が見えました。
トラック輸送路の確保で、急勾配で時間のかかる鉄路での貨物需要は消えました。備後落合駅の敷地には、かつては活躍していたであろう機関車の転車台が錆びて朽ち果てていました。
日本経済が右肩上がりの時代であれば、道路も鉄道も両方とも維持できたかも知れませんが、人口減は定着し、もはや輝ける日本経済の再来など望めません。道路ができるにつれ、いずれ鉄路が衰退するのは、だれもが見て見ぬふりをしていた「宿命」だったともいえるでしょう。
とはいえ、備後落合周辺の山間部の車窓の風景は心が和み、四季折々訪ねてみたいと感じました。観光需要の掘り起こしで、なんとか備後落合に至る区間が存続できないだろうかと願ってやみません。
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