海に浮かぶ「前方後円墳」?!京阪神から日帰り旅できる島

 

 高松に赴任中、もっとも気に入っていた風景のひとつが、高松港から眺める瀬戸内海の景色です。港のベンチに座り、ぼおっと空と海を眺めているだけで、心がなごみました。

高松港から瀬戸内海側を眺めると、右手には源平合戦で知られる屋島がどんと構えています。その奥には大きな小豆島や豊島などが、屛風絵のように広がっています。左手、港からもっとも間近に見える島が女木島です。

 女木島は高松港の沖約4㌔にあります。南北3・5キロ、東西1・5㌔と細長く、面積は約2・7平方メートルの小さな島です。ただ、標高200メートルを超す小高い山があり、存在感は大きいです。海を挟んだ四国側の小高い山に登って島を見下ろすと、まるで島全体が前方後円墳のようにも見えます。高松と徳島を結ぶJR高徳線で高架になっている栗林駅のホームからも、高松の町並みの奥に女木島の山がそびえています。

 


 女木島は高松港からフェリーに乗って向かいます。私はよく赤と白の装飾が印象的な旅客船「めおん2号」(全長約34㍍)に乗っていましたが、2021年春に引退し、しましま模様の新しい船に交代しました。高松港から女木島までは約20分。船賃は片道370円です。1隻の船が、女木島を経由して高松港と男木島の間を往復し、高松港からは午前8時から2時間おきに女木、男木行きの船が出ています。

 女木島の港の近くには風よけの石垣に囲まれた古い民家が立ち並んでいます。

 四季を通じて様々な野菜を栽培している畑の間を抜け、山の方へと舗装道路をあがっていきます。

見晴らしのよい峠のようなところにたどり着くと、「丸山古墳」と呼ばれる石積みの古墳があります。高松市教育委員会作成の案内板によると、古くからある石積みが1960年代の発掘調査で5世紀後半に築造された円墳であることが判明しました。もとの形は崩れてしまっているようですが、かつては直径約15㍍、高さ約1・8㍍の規模があったとみられるそうです。発掘調査ではハート型の純金製垂飾付耳飾1対や鉄製太刀1、鉄鎌1点も見付かりました。この耳飾りは朝鮮半島から船で運ばれたものとみられ、「古墳の被葬者が海上交通を掌握していたことがうかがえる」としています。



古代から朝鮮半島と日本の間に交易や交流があったこと、その経路として当時から瀬戸内海が重要な役割を果たしていたことがうかがえる史跡です。

 島中央にそびえる鷲ケ峰(わしがみね、186メートル)のてっぺん近くには展望台があり、瀬戸内海の島々をぐるりと見渡すことができます。

 桜咲く春に訪れると、淡い桜色に新緑、そして海の青が絵画のような絶景を織りなしています。

 


 冬には、海をわたってくる風に揺られながら、水仙が島のあちこちで咲き誇っています。この山には全長数百メートルにも及ぶ巨大な洞窟があります。むかし鬼がすんでいたという言い伝えがあるようで、女木島は「鬼ケ島(おにがしま)」とも呼ばれています。

 鷲ケ峰から古墳のあった峠に再び戻り、南側へと尾根筋をのぼってみました。

途中、日蓮聖人の大きな銅像の前で手をあわせ、さらに小一時間歩をすすめると、タカト山(216メートル)の頂上に到着しました。トビの群れが、まるで俺たちがここの主だと言わんばかりに、弧を描きながら上空を飛んでいます。




 さらに南側へと下るルートは傾斜がかなり急で、滑りやすいため、登ってきた道をそのまま峠まで戻るのが安全かも知れません。

 女木島は夏になると、若者や家族づれなどの海水浴客でにぎわいます。2010年から3年ごとに開かれている瀬戸内国際芸術祭で会場のひとつになるため、島のあちこちに壁画や造形物などのアート作品も点在しています。

 ただ、山に入ると人影もまばらで、鳥のさえずりと風の流れる音だけが聞こえてきます。落ち着いた静かな環境のなか、360度のキャンパスに描かれた瀬戸内の島々の絶景をゆっくり鑑賞できます。女木島は、島全体が「瀬戸内海」という芸術鑑賞の場ともいえます。

 


高松港からも近く、京阪神からの日帰り旅行も可能です。機会があれば、ぜひ足を運んでみてください。

 

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