仏が生きる山!

 

 仏生山(ぶっしょうざん)。

                              


 初めてその地名を耳にしたのは2020年春、高松に引っ越して間もない頃に乗った「ことでん」(高松琴平電気鉄道)の車内アナウンスでした。高松市中心部の瓦町駅から「こんぴらさん」(金刀比羅宮)のある琴平駅へ向かう途中に、仏生山という駅があります。

「仏が生きる山」という地名に一体、何があるんだろうと興味をかきたてられました。

 仏生とは、お釈迦様の誕生や誕生日をさす言葉です。

 しかし、地図を見てみてもその名を冠した山が辺りにあるわけではありません。

 どうやら、この地域一帯の地名のようです。

 高松市中心部の官庁街からは南に約6キロほど、仏生山駅をおりて町を歩いてみました。

 江戸時代から残るという旧街道沿いに出ると、格子窓やうだつのある古民家がぽつぽつと立ち並んでいます。

 

 改装されてカフェ等を営んでいる店や、酢を醸造する老舗もあります。この地域は江戸時代から、高松藩をおさめた松平家の菩提寺、法然寺の門前町として栄えたそうです。

駅から歩いて半時間ほど、旧街道をまっすぐ南に歩き、少し右手に曲がると、法然寺にたどり着きました。肌寒い天候の日、門前のうどん店で鍋焼きうどんの「大」(うどん二玉)を食べて体をあたためました。



法然寺の境内に入り、小高い山肌にまっすぐ敷かれた石段をのぼります。

来迎堂というお堂の真裏に囲いで仕切られた広大な墓所がありました。中には入れませんが、囲い越しに立派な墓石がいくつもみえます。

高松藩の藩主、松平家の墓所「般若台」です。案内板には、法然寺を建立した初代藩主・頼重にはじまる江戸期の代々の藩主に加えて、明治期以降の松平家の当主や親類縁者らもここで眠っており、墓塔の数は222基にもなる、とありました。標高にして100㍍にも満たない小高い丘陵の墓地ですが、市街地から屋島、八栗山まで一望できます。高松の町はいまも、仏さまになった藩主たちに見守られているということでしょうか。



 

 法然寺のすぐ近くに、おにぎりのような形をした小高い山の姿が見えました。気になって登ってみました。

日山(ひやま)という標高192㍍の小高い里山です。山肌の雑木林の葉が落ち、周囲の景色が見渡せるのが冬の山歩きの楽しみです。

頂上につき、北の方を見渡すと、高松市街地はもちろん、10~30㌔ほど離れた瀬戸内海に浮かぶ小豆島、豊島、女木島、男木島、大島も一望できます。南の方を振り返れば、徳島との県境の山並みが広がっています。

          



頂上には体を休めるあずま屋があり、壁には、5千回登頂を達成した人の名を刻んだ銘板がかけられていました。5千回といえば、毎日登ったとしても13年以上はかかります。体力、忍耐、根気が欠かせません。ただ、この絶景を目にできるのであれば、苦ではないのかもと感じました。

日が傾きはじめ、日山から西側の方をみると、さきほど訪れた法然寺のある山がみえます。「西方浄土」ということばが頭に浮かびました。

遠く瀬戸内の海と、讃岐山脈の山並みを見渡す絶景の地は「仏生山」という名にふさわしい場所でした。

                              

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