魯迅が晩年暮らした街角 国際都市・上海

 

〈もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。〉

中国近代文学を切り開いた作家であり、傑出した思想家の魯迅(本名・周樹人)の言葉です。清朝が倒れて、国民国家への道を手探りしていた中国激動の時代を生きた魯迅(1881~1936)が、40代半ばから50代半ばまでその晩年を過ごしたのが、すでに国際都市となっていた約100年前の上海でした。

  英国とのアヘン戦争(1839~42)で清が敗れ、開港を迫られた港のひとつが上海でした。間もなく英国や仏国などの租界(外国人居留地)ができ、欧風の近代建築が立ち並ぶようになりました。

  


(写真は2025年12月撮影の上海・外灘)

 外国文化に触れることのできる開放的な上海には、中国全土から知識人が集まり、社会変化を志す拠点にもなります。ロシア革命から間もない1921年、中国共産党第1回全国代表者大会が開かれたのも上海でした。

 後に東京へと渡り、日本の機密情報をソ連に送ったスパイの罪で処刑されたリヒャルト・ゾルゲ、そうした革命家を結びつける「接点」役を果たしたとされる米国出身の女性作家アグネス・スメドレーも、1920年代~30年代の上海にいました。

  北京大学などの教壇に立った魯迅が北京を離れ、廈門や広州を経て上海に入ったのは40代半ばだった1927年のことで、亡くなるまでの9年ほどを過ごします。左翼作家連盟の結成大会に参加し、記念講演をするなど左翼文学運動の中心的存在として若手を鼓舞します。その絶大な影響力を警戒されたのでしょう。当時の国民党当局から追われる身となり、上海で転居を重ねます。

  一時的に避難したのが、「虹口(ホンキュウ)」と呼ばれる地区の北四川路に面した「内山書店」という書店の中2階でした。魯迅はこの書店の常連客でした。

  筆者が2025年12月に訪ねると、内山書店の跡は約100年経った今も記念の書店兼カフェとして健在でした。中に入ると、魯迅関連の本が平積みされていました。店の一角には、魯迅と内山書店のかかわりを示す写真や絵画が展示され、上海市人民政府が設置した案内板もありました。


 
  


 内山書店は日本人の内山完造が1917年に上海の別の場所に建て、1929年に現在ある場所に移ってきました。社会主義関連の書籍が手に入ったこともあり、中国人や日本人の進歩系文化人が集う場所となっていたようです。

  「中国共産党と進歩系人士の連絡場所でもあり、魯迅などの『愛国的』文化人を救助したことがある」として1980年、上海市人民政府により「上海市革命記念地」に指定された、との説明がありました。

  この内山書店から歩いてほど近い所に「魯迅故居」があります。魯迅が1933年4月から1936年10月に亡くなるまでの最晩年を過ごした場所で、写真撮影はできませんが、中に入ることができます。古い机やベッドが置かれた魯迅の居室や、追われる身の仲間を匿った部屋などがあります。窓外の景色や青空を見ていると、「魯迅も同じような光景を目にしたのだろうか」と想像が膨らみます。

 


  

  魯迅故居のすぐそばには、筆者の勤務先の大先輩にあたる尾崎秀実(ほつみ)が住んでいました。大阪朝日新聞の本社から尾崎が上海通信部(後の上海支局)に赴任したのは1928年で、中国の国民革命の推移を追っていました。日本軍の謀略による日本人僧侶殺害事件を口実に中国軍を攻撃した第1次上海事変(1932年)も現場で取材しました。その渦中、写真を届けるために本社から帰国命令を受けて上海を去ることになりました。魯迅と同じ街角に住んではいましたが、その時期は若干ずれるようです。

 


 魯迅いきつけの内山書店を、尾崎も愛用していました。治安維持法が施行(1925年)された日本と違って、上海の方が官憲の目を警戒せずに安心して本が読め、書籍購入費はかさむ一方でした。記者活動の傍ら、左翼作家連盟など中国人の「同志」らの活動を秘かに支援していました。スメドレーやゾルゲと知り合ったのも上海です。のちに近衛内閣のブレーンとなった尾崎は、スパイの罪でゾルゲとともに刑場の露と消えます。

社会変革を志す有為な人物が集った上海。魯迅もきっと街角のどこかで尾崎と顔をあわせていたでしょうし、尾崎も魯迅の作品に目を通していたでしょう。

  封建的な社会構造や慣習の矛盾を鋭く批判し、人間のもろさに目を向けた魯迅の文学作品は、中国はもちろん日本、韓国など東アジアを中心に今なお読み継がれています。

  魯迅はいま、内山書店跡に近い「魯迅公園」の一角の墓で永眠しています。

  


 魯迅が他界した年の翌年、1937年に日本は中国との全面戦争へと突入していきました。尾崎は1941年に逮捕され、日本の敗戦前年の44年にゾルゲとともに処刑されました。

 100年ほど前、魯迅や尾崎が闊歩したかも知れない上海の冬の路地を歩きながら考えました。彼らはどんな夢を描きながら、上海の青空を眺めたのだろうか。そしてもし、今この時代にふたりが生きていたなら、いまの東アジアの情勢をどのように書いただろうかと。

 参照文献:尾崎秀樹著「上海1930年」(岩波新書)


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