「悪魔」の足跡は消せない! ハルビン郊外の「731部隊罪証陳列館」

   戦後80年を迎えた今夏、筆者は中国黒竜江省の省都ハルビンに向かいました。別の目的があって初めて、北緯45度の北の地を訪ねたのですが、その合間にどうしても足を運びたかったのが郊外にあるこの場所でした。

  「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」

 


 かつて中国東北部には「満州国」という傀儡国家があり、日本軍が実権を掌握していました。

 ハルビンの郊外の原野に広大な拠点施設を築いた旧日本軍の「731部隊(細菌戦秘密研究所)」は、「抗日運動」に関与したとして捕らえた中国人や朝鮮人、ロシア人の捕虜らを対象に、人道に反する生体実験や生体解剖を繰り返していました。

 命を奪われた被害者は数千人にのぼるとされています。妊婦を胎児ごと生体解剖したという元隊員の証言もあります。思わず吐き気を催してしまいます。

 この陳列館は、悪名高き731部隊の残虐非道な悪行の数々を歴史として記録し、人類が二度とこのような非人道的行為を繰り返さぬよう、後世に伝えるために中国政府が建立したものです。かつての部隊本部の建物等が保存され、「全国重点保護文化財」として旧日本軍の蛮行を伝える拠点になっています。

 


 戦争末期、ソ連の参戦に慌てた731部隊の隊長、石井四郎軍医中将は、飛行機に乗ってそそくさと日本へ逃亡しました。非人道的な悪行の数々がソ連にばれたら、さすがにまずいと思ったのでしょう。部隊の施設や実験機器の爆破、記録書類の焼却処分等を部下らに命じ、幹部らはさっさと「犯行現場」を離れます。現場に責任を押しつけて幹部は保身を最優先する、戦後も変わらない、日本の組織の典型例を見るかのようです。しかし、ソ連軍が侵攻して来るまでの限られた時間で証拠のすべてを灰燼に帰すことはできず、悪行の痕跡の数々が現地に残されていました。

  


部隊員の一部はソ連軍にとらえられ、戦後、ハバロフスクで戦犯として軍事裁判を受けました。731部隊が手をかけた非道な蛮行に関する証言は裁判記録として残り、見つかった音源等をもとにNHKが特集番組(『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』(2017年度)をつくりました。深く印象に残る番組でした。森村誠一氏の「悪魔の飽食」をはじめ元部隊員らの取材に基づく刊行物もあります。

筆者が初めて731部隊の存在を知ったのは、1980年代後半、関西のとある中高一貫男子進学校で学んでいた時の「現代社会」の授業でした。教師の有志グループが作成した資料集には、731部隊の生体実験の様子の図解と元隊員の証言が掲載されていました。

 ~生体実験の対象は「マルタ」と呼ばれていました。数十人を円状に並べ、円の中心に細菌爆弾を2つ置き、数キロ風上から電気着火で破裂させます。瀬戸物の弾丸でペストを細かく飛ばすのです。マルタは鉄帽をかぶり、前の部分に鉄板のプロテクターのようなものをつけていました。弾丸の破片で死んでは、細菌の効果がみられないためです。~

陳列館にはまさに、その細菌生体実験の様子を再現した等身大の模型等がありました。



  
この現代社会の資料集はいまも筆者の本棚にあります。卒業生の多くが医学部や医科大学に進学する学校だったため、教員には「おまえたちは将来、絶対にこのような人権感覚の欠如した医者にはなってくれるな」という思いがあったのでは、と想像しています。

 ハルビン郊外の陳列館では「どうして人間が、まだ生きている人間に対してこんなことができるのか」と思わず目を覆いたくなるような、筆舌に尽くしがたい蛮行の記録を見ることができます。陳列館で販売されている「関東軍第七三一部隊 罪証図録」(五州伝播出版社)の説明から、731部隊の悪行をたどります。

  《中国を侵略した日本軍は、現在の黒竜江省、吉林省、内蒙古自治区、山東省、江西省、浙江省、湖南省等で大規模な細菌戦を実施。それらの地域でペストやコレラ、チフス等、急性伝染病を大流行させ、中国人民に重大な被害と経済的損失、精神的苦痛をもたらし、想像を絶する人的災害をつくり出し、生態系と人類の生存と発展の環境を深刻におびやかし、中国政府と民間の防疫に深刻な精神的負担と社会的圧力を与えた。》

 


  《七三一部隊は大規模な人体実験や動植物実験、毒ガス実験を行い、関東軍憲兵隊、警察局、保安局、特務機関と秘密裏に共謀して「特別移送」(特移扱)を実施、数多くの中国人、ソ連人、朝鮮人を被験者として強制的に使い、細菌感染や凍傷の実験、生体解剖を行った。七三一部隊はペストやコレラ、炭疽、鼻疽等、少なくとも50種類の細菌実験を行った。》

   


 《人体実験を実施した七三一部隊員の多くは博士号を持っており、当時の日本医学界の細菌学、血清学、伝染病学等の分野の専門家だった。これらの医学博士たちは知識人、エリートとして、本来なら社会の良識と道徳を守り、国際法規や医学の倫理を遵守し、職業意識と道義的責任を持つべき人たちであった。しかし、彼らは愛国主義の名のもとに人体実験や細菌戦という悪事を働き、完全に人道主義の精神や生命倫理、医学規範、医学道徳に背き、反倫理、反文明、反人類という罪悪の深淵へと足を踏み入れたのである。》

  《1945年に日本が降伏すると、七三一部隊は主要な建物や設備を爆破して慌ただしく逃走した。米国は戦後、日本人戦犯処理のための東京裁判を主導したが、七三一部隊の戦争責任を免除するとの条件で、人体実験や細菌戦のデータ資料を入手。七三一部隊は戦後裁判を逃れた。本来なら極東国際軍事裁判で裁かれるべきこれらの日本人戦犯は、戦後は悪魔の鎧を脱ぎ、公然と日本の政府機関や軍事部門、医療機関、大学等で公職に就いていた。》

  京都大医学部卒の石井四郎をはじめ、731部隊の幹部たちは、日本を代表する名だたる医学部出身者で構成されていました。彼らにとって、生体実験の対象とした捕虜は「実験室のネズミ」と同等の存在だったのでしょうか。まともな心をもつ人間が到底為し得る事とは思えませんし、「お前は本当に医者か」「お前は本当に人間か」と、地獄で石井四郎に会ったら叫びたいです。

 しかし、このような極悪非道な蛮行を犯した者たちの多くが、戦後日本の官民学各界で復権し、重鎮となって日本の医療に影響を及ぼしました。私たち日本社会は、それをゆるしたのです。

  


731の幹部らの責任追及を怠るどころか、むしろその隠蔽を結果的に手助けし、復権をゆるしたことが、戦後の日本社会で薬害エイズ等、数々の薬害が引き起こされる一因になったといえるのではないでしょうか。彼らからすれば、患者は「医学発展のための実験材料」でしかなかったと言うのは過言でしょうか。

 加害者である日本の医学界が、日本の政治家が、あるいは日本人が、いくら731を否定し、目を背けようとも、被害者の立場からは絶対に残虐非道な蛮行を歴史から消し去ることはできないでしょう。

「悪魔の飽食」をふたたび繰り返さないため、本来は私たちが率先してこうした加害の実態を掘り起こし、資料館を作ってでも記録しなければなりませんでした。残念ながら戦後80年間、日本社会はそれを怠ってきたのです。

こうした加害の歴史を後世に伝えるための被害者の取り組みを「反日」とつきはなしていれば、そのしっぺ返しは、日本の医療を通じて、いつかまた私たち自身の身にふりかかってくるのではと、危惧します。

 

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