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鯛を美味しくする鳴門の渦潮

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  青い海流が白く渦を巻く鳴門の渦潮は、天体の力を実感できる場所です。 満潮と干潮、地球の自転と公転、海底の複雑な地形など、物理や地学のいくつもの条件が編み出す自然現象です。そんな鳴門の渦潮を見渡す場所を訪ねてみました。 四国の東の突端、鳴門海峡を一望する鳴門公園は、JR徳島駅から徳島バスに乗り、約1時間で着きます。1000円で乗り放題の1日乗車券を購入すると、お得です。終点の「鳴門公園」のバス停留所から階段を少しのぼれば、もうそこには海の絶景が広がっています。 鳴門海峡を挟んで目の前には大きな淡路島がずっしりと構え、眼前で鳴門大橋が雄姿を誇っています。瀬戸内海(播磨灘)の広がる北の方に目を移すと、水平線の上に小豆島が浮かんで見えます。南側の紀伊水道の方を見渡すと、はるかかなたに紀伊半島の山並みも見えます。 ここは「お茶園展望台」と呼ばれ、かつては徳島藩主、蜂須賀家のお殿様が観潮を楽しんだところだそうです。淡路島はかつて徳島藩に属していました。 江戸時代には歌川広重らが描く浮世絵の題材にもなりました。 時代をこえて、ひとびとを引き寄せる鳴門の渦潮はどんな仕組みでできるのでしょうか。 現地の観光案内板の説明を引用しながら、まとめました。 満潮で広い太平洋から紀伊水道へと入ってきた高い海水面は、鳴門海峡が非常に狭いため、ほとんどが淡路島の東方沖へと流れこみ、島の周りを反時計回りするかのように、大阪湾から明石海峡へと流れていきます。淡路島の西方で、瀬戸内海の方からの満ち潮とも合流し、ぐるりと一周して鳴門海峡付近に戻ってきます。潮が淡路島のまわりをぐるりと一周するまでには5時間ほどかかりるそうです。そのころには鳴門海峡を挟んだ紀伊水道側は引き潮で海面が低くなっており、満ち潮が流れこんできた播磨灘側との間での水位差は最大で約1・5メートルにもなります。この海面の段差を滑るように、播磨灘側から紀伊水道側へと勢いよく潮が流れていきます。 しかも、鳴門海峡は幅1340メートルほどと狭いうえ、水面下には深さ約90メートルのV字状の谷があります。岩礁、暗礁など水面下の複雑な地形も相まって、潮の流れに速いところと遅いところがうまれ、渦ができるのだそうです。 新月や満月で満潮時と干潮時の水位差が大きくなる大潮になると、潮の速さは最大で時速20キロメートル、渦の大きさは直径最大20メ

空海も見た!?絶景

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  四国遍路88カ所の霊場は、海を見渡す岬の突端近くに立つ寺院があれば、田園地帯の住宅地の中にぽつんと立つお寺もあります。 さまざまな立地のお寺があるなかで、標高の最も高い所にあるのが66番札所の雲辺寺(うんぺんじ)です。香川県でもっとも西側にある観音寺市と、徳島県の三好市にまたがる雲辺寺山(標高927メートル)の山頂付近にあります。 阿波(徳島県)、土佐(高知県)、伊予(愛媛県)と、四国を時計回りに巡る遍路の中で、最後を締めくくる「涅槃」の地、讃岐(香川県)の最初の札所に位置づけられていますが、境内は県境を越えた徳島側の木立の中にあり、お寺の住所地は徳島県三好市(旧池田町)になっています。  お寺の沿革によれば、弘法大師空海がお堂を立て、本尊を彫って四国遍路に定めたといいます。かつては四国の僧侶たちが学問修業のために集う「四国高野」と呼ばれて栄えたそうです。「高野」の名にふさわしい山奥にあったということでしょう。  四国遍路を歩き通すお遍路さんにとっては、たどり着くのが大変な屈指の難所です。65番札所の三角寺(愛媛県四国中央市)から66番札所の雲辺寺への登り道、雲辺寺から67番札所の大興寺(香川県三豊市)への下りの道とも険しい山道で、「遍路ころがし」と呼ばれています。  ただ、いまは山麓からあっという間に山頂までたどり着くことができます。 公共交通機関を使って、行ってみました。   最寄り駅は、JR予讃線の観音寺駅になります。駅前の観光案内所にレンタサイクルがあり、電動自転車(1000円+返却すれば戻ってくる保証金1000円)をかりました。スタッフの人に地図をもらい、ひたすら山の方へと向かいます。ペダルを踏むこと約1時間。みかん畑の中の坂道を抜け、「雲辺寺ロープウェイ」の山麓駅にたどり着きました。 ここから標高916メートルの地点まで、高低差657メートル、全長2594メートルを約7分で一気にのぼってしまうロープウェーがあります。  苦労して急峻な山を一歩一歩登るお遍路さんには怒られそうですが、時間節約のため、短い空中の旅を楽しみました。往復で大人2200円(中・高校生1650円、小学生1100円)。毎時0分、20分、40分と20分間隔で運行しています。  ゴンドラから見える眼下の景色は壮大です。  穏やかな讃岐の田

오기섬. 오기만 해도 신이 나는 섬 スイセンに囲まれた灯台の島

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  세토나이카이(瀬戸内海)라는 일본 혼슈와 시코쿠 사이의 '내해'는 예로부터 한반도와 일본을 연결하는 배가 오갔던 바닷길이 지나고 있으며, 지금도 페리와 화물선등 많은 배가 오갑니다. 그런 바다를 천천히 바라볼 수 있는 오기시마(男木島、카가와현)를 이번 여름에, 약 3년 반만에 방문했습니다. 다카마쓰항(高松港)에서 페리로 약 40분 거리의 작은 섬이지만 한국인 젊은이 커플을 몇 쌍 보았습니다. 세토나이카이의 외딴섬까지 한국에서 알려져 있다는 것에 많이 놀랐습니다.   瀬戸内海という日本の本州と四国の間の「内海」は、むかしから朝鮮半島と日本を結ぶ船が行き交った海路が通っており、いまもフェリーや貨物船が行き交います。そんな海をゆっくりと眺められる男木島(おぎしま、香川県)を今夏、約3年半ぶりに訪ねました。高松からフェリーで約40分の小さな島ですが、韓国人の若者のカップルを数組見かけました。瀬戸内海の孤島まで韓国でも知られていることに驚きました。                       《以下は3年前、2021年2月に訪ねた時の探訪記です。》 瀬戸内海に男木島(おぎじま)という小さな島があります。 島の最北端部の「トウガ鼻」に ある灯台を初めて目にしたとき、煉瓦を積み上げたような重厚な姿に歴史の重みを感じ、心ひかれました。 この灯台が見守る、男木島と豊島(てしま)の間の海峡をボオーッと眺めていると、左の方(西)から右の方(東)へとタンカーなどの大型船舶がひっきりなしに通り過ぎていきます。国際航路のようです。瀬戸内海を通って大阪湾岸の工業地帯に向かうのでしょうか。 この男木島灯台に灯りが初めてともったのは1895(明治28年)12月10日です。香川 県高松市の庵治(あじ)町でとれる庵治石を主体にした総御影石造りの洋式灯台です。地上の高さは約14メートル。高松海上保安部の案内板によると、灯台の光は12・5海里(約23キロ)先まで到達するとのことです。125年余り、「海の道しるべ」として備讃瀬戸を行き交う船舶の航行を一日も欠かさず支えてきました。 瀬戸内海の島の漁師にとっても欠かすことのできない海の道標です。昭和30年代には映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ地にもなりました。   男木島は高